海老洋展 遠国、日々ニ跡ヲ残ス  7月2日(土)


 

親指ほどの小さな紙に、よく見てみればそこには、絵が描かれていた。

「どうしてこんな小さな紙に?」

こんなにも小さい画面なのだから、なにか必ず意図があるのだろう、そう思って訊ねてみたのだ。

すると海老氏は、何でもないというふうに、少し笑ってこう答えた。

 「その時そこに、それしかなかったから。」


このセリフは、妙に私を納得させた。 それは、作品と呼応したものが、そこにあったから。


   おおらかで、気ままで、奔放。 


作品たちは、観ているこちらまで、そんな心持ちにしてくれる。



 例えば、「トナリノタ」。

作品の画面中央に、犬がいる。ソリに乗って、水面をすべっている。 とても姿勢よく立って、きもち良さそう。

そんな犬を見ているうちに、画面がゆらめいているような感じがしてくる。


  ゆ ら ゆ ら ゆ ら ゆ ら ゆ ら ゆ ら ゆ ら ゆ ら
 
  
あちらの世界にも、時は流れているみたい。 こちらよりも少しだけ緩やかに。

 そして犬はいつまでも、ゆるゆるゆるゆる、ゆらゆらゆらゆら、水面をソリですべり続けて、隣の田の穂も、ゆるゆるゆるゆる、ゆらゆらゆらゆら、風に泳ぎ続ける。

そんなふうに眺めているうちに、からだの芯が、ほろほろと、甘く、ほどけていく。

作品の穏やかさは、いつの間にか呼吸の度に、空気と一緒に取り込まれて、からだの中を満たしていった。

 素朴で、やさしくて、あたたかくて、ほの甘い。

オブラートに包まれた、やわらかな飴のことを思い出す。

口に含んで、しばらくした後、ようやく届くあの甘さ。 まあるくて、ほっ として、じんわり広がる。

 「なんだか似ているなあ。」

 ぼんやり思いながら、この、おおらかで、あたたかな何かを、じっくりと味わう。

  

   

                               

                                   mou尾道白樺美術館[尾道大学]スタッフ

      

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